人物を知る #
劉表は黄忠を中郎将に任じ、劉磐と共に長沙の攸県を守らせました。曹操の荊州平定後も元の任に留まり、長沙太守韓玄に属しました。劉備が南の諸郡を平定した際、黄忠は帰属し、入蜀に従いました。
劉璋を攻めた際、黄忠はしばしば先陣で敵陣を突破し、益州平定後に討虜将軍となりました。建安二十四年の定軍山の戦いでは兵を率いて攻め、夏侯淵を破って斬り、のちに征西将軍へ昇進しました。
劉備は漢中王となると、黄忠を後将軍に任じようとしました。諸葛亮は名望が関羽・馬超とは異なり、遠く荊州にいる関羽が不満を抱く恐れを指摘しました。劉備は自ら説明すると述べ、任官させました。黄忠は翌年に死去し、のちに剛侯と追諡されました。
おおよその前後関係であり、等間隔の年表ではありません。
史料の限界 #
黄忠伝には長沙で関羽と一騎打ちしたとの記載はありません。任命に関する議論も、二人が面と向かって口論したことを意味しません。
人物相関 #
- 劉表黄忠 → 劉表:かつての配下の将『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
荊州時代:劉表が中郎将に任じ、劉磐と共に攸県を守らせました。
- 劉備黄忠 → 劉備:配下の将『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
荊州南部の諸郡平定時に帰属し、入蜀に従い、のちに後将軍となりました。
- 韓玄黄忠 → 韓玄:かつての配下の将『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
曹操が荊州を制圧した後、黄忠は従来の職に留まり、長沙太守韓玄に属しました。劉備への帰属は後の段階です。
- 劉磐黄忠 — 劉磐:同僚(攸県)『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
劉表が黄忠を中郎将に任じ、黄忠と劉磐は共に攸県を守りました。共同守備を友誼や上下関係に書き換えません。
関連する史実(人物関係ではありません) #
- 諸葛亮漢中王の任官時:諸葛亮が劉備に、黄忠を関羽・馬超と同列に置く問題を論じました。面会の証拠ではありません。『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
本書での登場 #
人物の具体的な登場回は、『史記三国』本文の最終稿のQA後に照合するため、現時点では先に記入しません。
このページを引用
史記三国ウェブサイト「黄忠」、資料版 2026-09-29.13、更新日 2026-09-29。
https://shijisanguo.com/ai/people/huang-zhong/
個別の主張を引用する際は、その箇所の原典、本文か注に引用された記述かの別、閲覧日も記してください。節見出し横の # から該当箇所に移動できます。本サイトの整理文は古典の原文ではありません。