人物を知る #
先主伝は、後漢末の挙兵、各地の軍政勢力との関わり、関羽・張飛との長い共働を記します。のちに益州を得て漢中王となり、さらに成都で皇帝を称しました。
晩年は孫呉との戦いに敗れて永安へ退き、重病の際に諸葛亮らへ後事を託し、永安宮で死去しました。この歩みを桃園の誓いや三人の私的交友だけに縮めるべきではありません。
おおよその前後関係であり、等間隔の年表ではありません。
史料の限界 #
「蜀漢」は識別しやすくするための通称です。桃園の義兄弟の儀式は小説に見え、史書の共働の記録に置き換えません。
人物相関 #
- 孫権孫権 — 劉備:盟友『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
兵を派遣して曹操への抵抗を助けました。
- 関羽関羽 → 劉備:配下の将『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
従い、共に活動。兄弟のような恩情で結ばれていました。
- 張飛張飛 → 劉備:配下の将『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
従い、共に活動。兄弟のような恩情で結ばれていました。
- 劉表劉備 → 劉表:身を寄せた者『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
劉表を頼って身を寄せました。
- 袁紹劉備 → 袁紹:かつて身を寄せた者『三国志』巻三十二・先主伝 ↗
関連する事績と時期
初めは公孫瓚側として袁紹に対抗し、徐州での敗北後は袁紹を頼り、その命で許付近に出兵しました。
- 趙雲趙雲 → 劉備:配下の将『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
公孫瓚側から劉備に従い、長坂でその家族を守り、のちに入蜀しました。
- 黄忠黄忠 → 劉備:配下の将『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
荊州南部の諸郡平定時に帰属し、入蜀に従い、のちに後将軍となりました。
- 諸葛亮諸葛亮 → 劉備:謀臣『三国志』巻三十五・諸葛亮伝 ↗
関連する事績と時期
新野で人材を求めた後:劉備が諸葛亮を三度訪ね、補佐関係を築きました。
- 馬超馬超 → 劉備:配下の将『三国志』巻三十六・関張馬黄趙伝 ↗
関連する事績と時期
成都での戦い:馬超が降伏を願い、兵を率いて帰属。劉備は平西将軍に任じました。
- 周瑜周瑜 — 劉備:盟友(赤壁)『三国志』巻五十四・周瑜魯粛呂蒙伝 ↗
関連する事績と時期
赤壁で共同して曹操に対抗し、追撃しました。戦後、周瑜は別に劉備を抑える提案をしました。
- 徐庶徐庶 → 劉備:謀士『三国志』巻三十五・諸葛亮伝 ↗
関連する事績と時期
新野で重んじられましたが、南下中の敗北後、母の捕縛を理由に別れました。
- 劉琦劉琦 — 劉備:盟友(曹操への抵抗)『三国志』巻三十五・諸葛亮伝 ↗
関連する事績と時期
赤壁前:劉琦の江夏の兵力と劉備側が、曹操に対抗する戦力を構成しました。
関連する史実(人物関係ではありません) #
- 曹操かつて曹操に受け入れられ、共に呂布を包囲しました。のちに分裂し、徐州や赤壁などで交戦する側へ転じました。『三国志』巻三十二・先主伝 ↗
- 魯粛当陽での会面:孫権の意向を伝え、曹操への共同抵抗を勧めました。のちに荊州の調整にも関わりました。『三国志』巻五十四・周瑜魯粛呂蒙伝 ↗
本書での登場 #
人物の具体的な登場回は、『史記三国』本文の最終稿のQA後に照合するため、現時点では先に記入しません。
このページを引用
史記三国ウェブサイト「劉備」、資料版 2026-09-29.13、更新日 2026-09-29。
https://shijisanguo.com/ai/people/liu-bei/
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